支出内容についての検討は別に機会に行います。
たとえ月島労働者の収入が20職工の収入を上回っていても、「総体として、月島の労働者の生活状態は、第1次世界大戦中の好況にもかかわらずあまり向上」しておらず・・・
「月島における労働者の生活状態が依然として『下層社会』的性格を継承している」という指摘が妥当と考えられます。
それゆえに、20職工調査の職工たちの生活状態は一層「下層社会」的であったといえるでしょう。
前述の横山源之助『日本之下層社会』における明治31(1898)年の調査である35歳旋盤工の賃金は「75銭、敢て大なりといふにあらず」という程度の水準でした。
・・・ところが、時期的に日露戦争及び第1次世界大戦をはさんで21年経過しているにもかかわらず、大正8(1919)年の『月島調査』における労働者の所帯主収入は平均63円80銭余です。
いかに月島労働者並びに20職工調査における労働者の賃金が低かったかが判明するのです。
大正3年から8年にかけての物価・賃金・生計費の推移からしても、実質賃金の伸びは物価の上昇に比して伸びないばかりか、かえって低下傾向を示していました。
したがって、職工の生活困窮は甚しく下層社会の生活水準の域を出るものではなかったことは確かであったといえるでしょう。
しかし、月島労働者の生活が下層社会の生活と大きく異なる点は月島労働者の収入が「定収入」であったことです。