高野博士による東京20職工の家計調査等と月島労働者の家計を比較しておきましょう。


まず高野博士による東京20職工の家計調査(『生活古典叢書』)に収められている「東京二於ケル20職エ家計調査」をまとめたのがあります。


所帯人員は平均3.9人で、夫婦と小児の核家族が最も多いのです。


所帯主の年齢は平均33歳で、妻の年齢は平均29.6歳です。


子どもは5歳余、親は55歳から77歳余です。


職業は、鉄工場、機i械工場等4工場の職工が各3名ずつの12名で60%を占めています。


妻の職業は煙草工場職工1名を除いて、内職者(和裁)が7、養鶏1の8名が収入を得ています。


所帯主収入は23円52銭1厘で明らかに先述の月島労働者家計より低くなっています。


妻の収入は両調査ともほとんど変りなく、2円20~30銭ですが、僅かに月島労働者の妻の収入の20職工のそれを上回っています。


収入は、1ヶ月最高で145円40銭で、最低30円27銭2厘です。


50円台が9、60円台が8となっており、50円から80円台が23家族で、57.5%です。


1所帯平均収入額は、63円80銭5厘です。


副収入の1ヶ月平均額は、養鶏経営1所帯が7円66銭、貸間寄宿等9所帯が9円70銭7厘です。


その他は臨時収入で、寄贈及び古物売却等であり、1ヶ月平均で最高173円弱、最低31円余となっています。


所帯主収入の収入を含めた全家族員の平均月収入は、1所帯当り73円44銭7厘です。


所帯主の収入が所帯収入の約87%で、妻の収入割合は3%強となっています。


夫婦以外の家族の収入割合は、およそ4.6%です。


つまり、所帯主収入が主軸となっていますが不十分で、15%程度を他の収入に依存していたことが判ります。


しかし、「これを高野博士の20職工の家計調査の結果と比較すると、所帯主の収入の割合が高いことがわかります。


ただし、これは蓋して本調査の当時、月島が機械工業全盛の時期であったこと、したがって該当工業労働者の収入が比較的多かったためと思われる」と権田は指摘しています。


それに加えて、月島労働者の47.6%が熟練工であったということも収入を高めていたものとみてよいのではないでしょうか。

記入がなされた40家計における所帯状態をみると、3、4人家族が最も多く、女子の占める割合は44.5%です。


また夫婦世帯の割合が最も大であり・いわゆる核家族が多数を占めています。


これもまた、工業都市型家族構成の特徴を有していた月島特有の家族構成といえるでしょう。


所帯主の職業は、機械製作工場の職工が52.5%と最高で、造船所職工が35%とそれについでいます。


所帯主の妻で機械工場の職工を本業としている者は唯1人で、他の39人は家庭にいるのです。


つまり、家庭にいるために、家計簿を記入できたということもいえますが、権田はあえて指摘はしていません。


しかし、副業をするものは10名おり、そのうち1名は養鶏を営んでいます。


他の9名は和服裁縫業です。


子どもたちは全て無業です。


また所帯主の父親1名は造船所職工で、二家族が鍛冶職を自営しそのうち一家族は従兄及び弟子2名がいるのです。


長くその部会に所属していると、関係する政策分野についてエキスパートになります。


こうして"族"政治の中核たるリーダーになると、情報はどんどん入ってきます。


自らも情報の発生源になって業界や利益集団を操縦することができます。


部会長は当選3ないし4回、ふつうは政務次官を経験した人がなるものです。


その下に副部会長が最低3人います。


農林部会では14人の副部会長がいます。


これらの部会長、副部会長から未来の実力者が出るかもわからないわけだから、業界や利益集団では"先物"を買おうと必死になるのです。


官僚のポストは通常2、3年で変わります。


しかし、彼らは落選するか引退しない限り変わらないのです。


したがって"族"議員の知識・情報は官僚以上です。


むしろ、これら政策通と自他ともに認める"族"議員のTomcat的なイニシアチブによって官僚が動かされることのほうが多いのです。

昭和30年頃から日本の産業はようやく盛んになり、海外との貿易も大きくなりました。


英米人との取引きで実用英語の必要が感ぜられてきました。


役に立つ英語を教えよ、という声が実業界から要望されたのです。


役に立つ英語を教えるべきだという機運が英語教育界にも高まり、各種の石川遼 英会話のような英語団体が出現するようになりました。


これに拍車をかけたのが教育機器の発達です。


テープレコーダーが普及しました。


この設備があることは英語教育に熱心であることを証明するかのようなイメージを世間に与えました。


これらが英語教育を盛んにしてきましたが、同時に、実用主義が英語教育界に支配的となってきたのも事実です。


この風潮が英語教育の正しい方向であるかどうか・・・。


これは今後の問題であり、もっとやってみないと分からないでしょう。

ミストラは、スパルタの王レオニダスが300人の兵とともにテルモピレーで玉砕した頃より約2000年後の中世末期に、ビザンツの有力都市として栄えたスパルタの跡です。


つまり中世のミストラとは、その4キロ東にある本来のスパルタと同義語だったのです。


いまはオリーブとレモンとオレンジの林に囲まれた城塞都市ミストラは、13世紀の半ば、ラテン帝国を建設した第4回十字軍の一貴族が建てたもの。


この地名メジトラをもじり、その貴族が故郷フランスの方言ミストラに変えたのです。


"愛人"という意味です。



この"愛人"はビザンツとラテンとの抗争のなかで、ビザンツの所有となります。


そして14世紀から15世紀にかけて、ペロポネソスの首都としてビザンツ文化の花を咲かせました。


曲がりくねった細い通りに沿ってあちこちに教会、僧院、宮殿、家々が並び、それらがいかめしい城塞に囲まれ、メジトラの丘の斜面に崩れ残っている様は、空が昔ながらの清澄さをたたえているだけに、何か突き刺すような痛みを胸に与えずにはおきません。


急坂はラバの背にまたがって、その盛衰の跡をたどります。


この"愛人"をつれなくも捨て去ったのは、ビザンツ帝国を地上から消したオスマン・トルコでした。



エレウシスは古くから大地の女神を祭る秘儀で名を知られ、その浜辺は大祭のとき全ギリシアから集まる善男善女でにぎわいました。


アテネの美女フィリーネが、アフロディテの誕生のときのように全裸となって物議をかもしたのも、大祭のときのこの浜辺でした。


しかし、現在ここはタンカーが何隻も停泊している散文的な入江となってしまい、観光バスはその入江を左手に眺めるだけで、ひたすら西へ走ります。


そこはコリント、ミケーネを経てペロポネソス半島に通ずる幹線道路。


ミケーネとティリンスにはクレタ文明の影響が濃厚に見られます。


それぞれ平野と入江を見下ろす山城という点で共通しています。


ともに商業道路を押えるための築城だったのでしょう。


巨石を積み上げたそのいかめしさは、解放的なクノソスの宮殿に比べはるかに閉鎖的で、後世のギリシア人たちはティリンスを"伝説の巨人キクロペスの城"と呼んだものです。


一方ホメロスはこれらの山城のもつ財力を知っていて、"黄金に富むミケーネ"と歌いました。


そこはトロイヤ戦争のギリシア総司令官アガメムノンの居城でもありました。


この伝説をもとに、シュリーマンが驚異的な発掘を行なったことは周知の通りです。


伝説は歴史的事実となって、その出土品はアテネ博物館の貴重な宝です。



南まわりでアテネに着いたとき、わたしたちはヨーロッパを感じますが、北からやってきたヨーロッパ人は、オリエントを感じるといいます。


わたしたちにとって、ギリシアは"西欧文明の源"という理念的な国です。


ところがヨーロッパ人のギリシア観は"民主主義のふるさと"というより、"アルプスの向こう"という現実感覚の方で強く裏打ちされているように見えます。


オリエント性はここからくるのでしょう。


ギリシアは4世紀間もイスラムに支配されましたから、その影響は日常生活のなかに濃い影を落としていることは否定できません。


しかし、現代ギリシアがもつ本質的なオリエント性は、実はギリシア正教に根ざしているように見えます。


ギリシア人の先祖は、神話に見られるように、やおよろずの神々を信じました。


そういう祖先がつくりあげた文化を、本土やエーゲ海の島々がイスラムの支配下にはいったなかで守り抜いて来たのは、矛盾するようですが、一神教のギリシア正教でした。


ギリシア人は正教徒であることによって、ギリシア人としての民族性を保ってきたといえるでしょう。


しかし、ヨーロッパ人が使う"オリエント"という表現には、"貧しい国ギリシア"に対する優越感も含まれているようです。



アテネは白い町です。


エーゲ海の島の家の造りがシックイで白いのとは違って、それは大理石の白さです。


真青な大空のもと、昼間の町を歩くと、大理石の照り返しで目もあけられぬほどのまぶしさです。


とある夕ぐれ、大理石のぬくもりがまだ残っている道をムーセイオンへたどりました。


この丘はアクロポリスの南西に立っています。


ここはパルテノン神殿を中心とするアクロポリスをはじめ、そのふもと、復原成ったオデオン劇場の外郭などを眺めるのにいちばん良いところなのです。


路地でフットボールに熱中していた子供たちが、カメラを向けると遊びをやめて、わあっと寄ってきて集団でポーズをとります。


いかにも庶民の子供ですが、身なりは小ざっばりとしていて、表情は底ぬけに明るいものです。


ムーセイオンの丘はアクロポリスと同じく、むき出しの岩膚がごつごつしていて、寝転ぶわけにはいきません。


そこで頂きの斜面に腰を下ろしてパルテノンの夕映えを眺めるのです。


やがて雲ひとつない空は満天の星空と変わり、アクロポリスの丘では"音と光"のショーが始まります。


丘の上が赤い光で染まるのは、多分ペルシア軍が攻めこんだときの説明なのでしょう。


乾いた風に吹かれながらアテネの史劇を遠望するのは、忘れられない夏の夜の楽しみです。



アテネからクレタへは船ならひと晩、飛行機なら1時間。


主都イラクリオンに着いて絶対に見落としてならないのは、市内にある博物館です。


今世紀初めアーサー・エヴァンズによって掘り起こされたミノア文明の証拠品が、ここほど充実しているところはほかにないでしょう。


「おや、これはパリジェンヌではないか」


出土した壁画に描かれた婦人像の余りにも現代的な姿に、エヴァンズは思わず叫びました。


このエピソードから"パリジェンヌ"のニックネームがついた宮廷婦人や、ウエストを思い切り引き締めたユリの王子、闘牛風景。


また壁や壺に描かれたイルカやトビウオ、タコ、イカ、ヒトデ、巻き貝など、線はあくまでも現代的で、海洋民族の生活感情を躍動的に描き出しています。


こうした品々のほとんどは郊外にあるクノソスの宮殿跡から出土したものです。


エヴァンズが部分的に復原したこの王宮の跡に立って、迷宮にまつわる怪獣ミノタウロスとテセウスの決闘。


このアテネの青年を助けるアリアドネーの悲恋。


あるいはダイダロスとイカロスの話を思うのです。



そしてこのようなギリシアの伝説のべールを通してミノア文明の世界に思いをはせれば、クレタの旅は時間の少なさを嘆かせるばかりです。



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